「低レベル」放射線 内部被ばくによる健康障害4

2011年8月28日 栃木県宇都宮市
低線量被ばくを考える講座「50年後の安全」

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さて、もう時間もなくなってきました。1時間になりますけれども、
原爆と原発の開発の歴史というのは、今までのお話しの中でも少しご理解いただけたかとも思うんですが、
一体化しているんですよね。
原爆をつくるためには天然のウラン鉱から掘り出したウラン235を濃縮してやらないといけない。
100%まで濃縮すると、広島型の原爆になる。
濃縮というのは原子力産業の一番重要な仕事なんですよね、

原子炉を回すと今度はプルトニウムが、
プルトニウムはもともと地球上にないもので、人間が作り出した。
原子炉でウランを燃やすと作られる訳です、プルトニウム129ですけど。

こいつは最強の毒物といわれています。
人間が作りだしたものです。
これを使った爆弾が一番効率がいいので、長崎型爆弾。
これも欲しいというので、同盟国、友好国に原子炉を運転させて濃縮ウランをそこへ持ち込む。
輸出する訳です、アメリカから。
ハードもソフトも日本に売り込んでいく。
で、その時、1953年です。
アイゼンハワー大統領が国連で演説したのが、この「Atoms for Peace」という、有名な演説ですね。
それを受けて「原子力の平和利用」という事で、一大キャンペーンをやる。

杉並のお母さん達が始めたといわれる、いわゆる第5福竜丸の事故が起こった時にですね、
やっぱり「原爆は止めよう」と、日本列島全体に「原爆を止めよう」という署名が広がるんですね。
そういうので、「このまま行くとちょっと危ない」というふうに考えたんでしょう。
「原子力を平和利用に、それが日本の経済発展につながるんだ」

「経済発展のためには原発は必要だ」という論を展開したのが正力松太郎。
当時読売新聞のトップで、これは有名な話です。
そして政治家としては中曽根康弘。
議員立法で二億数千万、
当時のお金で二億数千万、今で言うとどれだけになるか知りませんけれども数百億を
国会に贈呈してそれが通る
初代の原子力委員長の椅子に正力松太郎が坐る、というのが日本の原発開発の歴史ですよね。
最初はだからアメリカからゼネラルエレクトリックGEの機械を持ってきたんだから、
福島第一の1号機はGEです。
そのあと、同じものを東芝が後を受けるわけですけど。

という事でオバマ大統領になってからもプラハで、チェコで演説をしましたけれどもね、
ちゃっかりと最後に「核抑止論」を入れているんですね。
原爆を持って平和を維持する」という
53年のアイゼンハワーと同じ考え方が思いきり出ている。
それでもって世界を支配しようと、空から戦争を仕掛けるという事で、

100機、
無人機を100機世界に配備してそれに原爆を乗せるという計画が進んでいる。

さて、どうにもしようのない核廃棄物ですけど、
トイレのないマンションと言いましたけれども、
「モンゴルにこいつをやらせたらどうだ?」とアメリカが言いだして、
東芝が一つのビジネスとしてね、進んでいるのがこれといわれています。

(2011年8月29日現在)

人の命はみな同じ。
一人一人みなかけがえがない。という事だと思うんですが、
広島で被爆した朝鮮人労働者、朝鮮人の方が当時7万人ぐらいいたんですね。
2万人ぐらいが一瞬にして命を奪われているんですけれども、
この辺たちのブントでしたか、共催連合に近い方が多かったと思うんですが、
長崎もそうです。
その朝鮮人被爆者の方達の碑を在日朝鮮人、韓国人の人たちがつくったんですね。

ところが当初、平和公園の中にこれを建てさせなかった。
やっと99年になって、現在のところにある。
で、去年、国連の事務総長が韓国の方ですから、ここに花をささげたりしたわけですけれども、
こういう差別意識というものが、今もやはりあると考えなければいけない。

それに対してドイツはやっぱり、それにどう向き合うか?という事をやってきた。
「人の命はみんなおんなじなんだ」という事で、自分たちがやった非人間的な過去と向き合うという、
それが原発を止めたドイツの力だ
というのが、この日のン人の写真家の意見なんですね。

「過去の克服」と言いますけれども
日本には、これがまだ足りなくはないかと。

さて、これも最後の方ですけれども、胎盤バリアです。
小さな小さな粒は、どれくらい小さな粒が通るか?

どれくらい小さかったら通るかというと、
100nm(ナノメーター)、0.1マイクロメーター以下のものは、
胎盤を通って胎児のところまで行ってしまうと。
これも一つ頭見入れておいていただくといいと思うんですね。

だから、おなかに赤ちゃんがいるお母さんにしてみれば、
やはりこの子を守るためにはどうしたらいいかという事はそこから結論が導き出されるだろうと、
つれあいも、周りの家族も、あるいはもっと言えば日本中の人がですね、
「この子を守るためにはどうすればいいのか?」という事が今問われているだろう。

常磐線。
南相馬市の原ノ町駅です。
もう半年近く止まってしまっていて、線路は錆びている。
いくつ特急列車が、各駅停車も停まっていますけれども、停まっているのか。
で、あの現場ではまだ、まだまだとっても収束には程遠い状況ですから、
向こう50年100年、おそらくここの常磐線が今の路線を走ることはなかろうと私は見ました。
非常に胸が痛む。

で、これからどうする?という事ですけれども、
一つ目は、ま、すぐに移住というのは無理な訳ですから、
何とか新たに取り込まない努力をしないといけないし、
免疫力を高めて、がん細胞が出てきてもそれをやっつける力をどういうふうに身体につくるか。
バランスのいい食事をする。
スポーツを積極的にやる、仕事もやる。
いろんな社会的活動に参加して仲間との連帯の気持ちというものを育てていく。

そして何と言っても、やっぱり、この法的な整備が出来ていないので、
法律をちゃんとさせるという事、財政措置もさせる。

で、たまたま甲状腺がんが見つかった時、
早く見つけてやっぱり早く手当てをしないと。
子宮がんも乳がんもそうですけれども、
これをどう早く見つけるかというプロジェクトというものを組むというか組ませる。

ということで、

※参考 IAEAとWHOの関係
「放射能被害はなぜ隠蔽されるのか」ミッシェル・フェルネクス博士OurPlanetTV(内容書き出し)

日本で言うと経産省から独立した安全委員会をきちんとつくらなければいけない。
経産省というのは原子力産業の、
要するに国策として原発を推進してきたわけですから、
そういう事をやるためにやっぱり法律とか財政的な措置を国会で決めるという、
それはやっぱりそれだけの声が出てこないと、国会議員も動かないですね。

それで今は大変な時期なので、何とか一次産業をここで、
そうでなくてもだんだん、だんだんに食料の自給率が下がってきているわけですが、
そいつをヨーロッパみたいに自給率を100%さらに100数10%ぐらいに持ち上げるにはどうするか。

それから、いろんな廃棄物を
低線量であれば、一般の産業廃棄物と一緒に処理してもいいという、クリアランスレベル。
ヨーロッパはECRRがこれを止めるためにつくられた組織と言ってもいいんですが、
日本は国会を通ってしまっているので、「裾切り」とも言っています。
これをやっぱり押し戻さないといけないだろう。

食の安全という事で、子どもの基準値もちゃんと定めさせる。
こういう事が緊急の課題としてあると思います。

南相馬の方達は「自分らだけではどうにもならないんです」って。
で、桜井市長の考え方もあって、戻ってくる方もいるんですけれども、
7万人ぐらいの人口がですね、一時1万人ぐらいにまで減ったんですけれども、
今は3万人位の人が戻ってこられているそうです。
よそでは食っていけないんですよね。
で、「南相馬だけではどうにもなりません」と、
口ぐちに悲鳴を上げておられました。
「全日本の力が欲しい」と。
日本中の人がこれの関心を持って、これを何とかしようじゃないか。
で、南相馬の子どもたちのために、自分もなんか一肌脱ごうじゃないかという事にならないと、
どうにもならない。

何と言っても原因をつくった東電の責任と、
国策としてこれをやってしまった、
とんでもないことをしでかしてしまった日本政府の責任ですよね。
「それをどう問うのか?」という、この声が、
日本列島どこに行ってもその声が聞かれるようになった時に初めて、
解決の明かりが見えてくるんじゃないかなというふうに思っております。

時間がちょっとはみ出しましたけれども、ご清聴ありがとうございました。

「見えない恐怖放射線内部被曝」松井英介(送料無料)

【内容情報】
なぜ「内部被曝」は危険なのでしょうか。
からだの中に入り込んだ放射性物質が引き起こすがんや白血病。
被曝のしくみや健康への影響を正しく知って適切な対応を。

【目次】
第1章 福島原発事故による健康障害
第2章 内部被曝とはどのようなものか
第3章 原子力発電と内部被曝
第4章 広島・長崎被爆者の内部被曝
第5章 ビキニ水爆実験による内部被曝
第6章 「劣化」ウランと内部被曝
第7章 トロトラストによる内部被曝
第8章 放射性物質を掘り出すことの意味
基礎知識/資料

【著者情報】
松井英介(マツイエイスケ)
1964年岐阜県立医科大学卒業。
2001年3月まで岐阜大学医学部附属病院勤務。放射線医学講座助教授。
退任後、岐阜環境医学研究所を開設。
日本呼吸器学会専門医、日本呼吸器内視鏡学会気管支鏡指導医、
日本肺癌学会および日本呼吸器内視鏡学会特別会員。
1997年から東京都予防医学協会学術委員、保健会館クリニック呼吸器外来担当、
「東京都から肺がんをなくす会」指導・総括。
2009年から癌研究会有明病院顧問
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)