「ものを書く気力がなくなった。」開口一番、多発性骨髄腫を発症したジャーナリストの小笠原和彦さんはこう言います。現実に今、辛い治療を受けていることに対し「この野郎って、怒りはある」とも言う。 東京電力福島第一原発の事故で自らが住む千葉県松戸市も放射能で汚染された。そこから事故発生以来何度も福島を訪れ被ばくした方々にインタビューし健康被害の真実を追った「東電被曝 2020・黙示録」(風媒社)を2020年に出版されました。 放射線被ばくとの関連が強く指摘される血液のがん、多発性骨髄腫を発症した経緯と治療の辛さに怒り
すら感じるという小笠原さんにその体験をお聞きしました(2023年1月)。 多発性骨髄腫
血液のがん。白血球の一種である B 細胞という血液の細胞からできた形質細胞(けいしつさい
ぼう)ががん化し、骨髄腫細胞に変化して増え続ける。形質細胞には、もともと細菌やウイル
スから体を守るための抗体を作る役割が備わっている。しかし、がん化して骨髄腫細胞に変わ
るとその機能が失われ、増殖を繰り返しながら抗体としての力を持たない M タンパクを作り続
ける。この M タンパクや骨髄腫細胞が、体に対してさまざまな影響を及ぼす。通常であれば、
形質細胞は骨髄の中に 1%未満の少ない割合で存在しているが、がん化すると 10%以上にまで
増える。
原因=形質細胞ががん化するはっきりとした原因はわかっておらず、遺伝子や染色体の異常に
よるものと考えられている。発症のリスクになる要因として指摘されているのは、放射線被ば
く、発がん 性のある化学物質に 長期間にわたって触 れることなど(以下 略)。出典
https://doctorsfile.jp/medication/191/
急に脇腹に痛みを感じ、診断と同時に即入院
多発性骨髄腫と診断されたのは2022年7月20日。77歳の誕生日だったのでその日のことはよく覚えている。 体調がおかしいと気付いたのは、急にわき腹が痛くなったことで地域の病院に行き血液検査をしたらとんでもない数値が出た。千葉西総合病院への紹介状書いてもらって行くとそのまま入院となり、病院には自転車(ロー ドバイク)で行ったのだが退院する時は車椅子だった。 外来で受診してから医師が多発性骨髄腫と判断するまでに相当時間がかかり医師も判断に苦労したようだ。しかし、データから多発性骨髄腫とされ血液内科の医師を紹介された。ともかくとんでもない数値だったようで、一回帰るとかそういうものではなかった。 それまで体調が悪いことは十分承知していた。働いていた職場で定期的に血液検査をしたところ、高血圧で上が260mmHgもあり糖尿病も見つかり2014年3月にはヘモグロビンエーワンシー(HbA1c)が10.6もあった。それでも血圧が高いからめまいがした、ということはなく数値が高かっただけだった。医者によると血圧は個人によりそれぞれだというが260もあったので色々聞いた。高血圧で倒れたり、高くなくても脳溢血で足が動かなくなったりした知り合いがいたからだ。
しかし具体的な症状はなかったので治療しなかった。高血圧も糖尿病も薬を使わなくても治せるのでないか、 運動すれば治るとも考えた。体力には自信があり医者嫌いだったので運動で治そうと、月に10日ぐらい自転車(ロードバイク)で家から東京江戸川区にある老人ホームまで通った。片道22 kmで往復44 km、10日だと月間400キロぐらい走っていた。当時は体力には自信があったので体調不良をなんか自慢しているようなところがあった。福島原発事故発生以来、すぐ取材しに福島に行くようになった。松戸市の家から自家用車で直接行ってノンストップ・日帰りで帰ってきた。それも高速道路は使わない。福島県の飯館村までここから250kmぐらいで往復500 km。現地での取材は2時間ぐらいだが夕方になって暗くなると目が見えにくくなる。すでに白内障にもなっていて、とにかく明るい時間に帰ってこないといけない。そういう無茶をやっていた。 副作用が辛い抗がん剤治療多発性骨髄腫が疑われた時、医師も相当判断に苦労し検討に数十分を要した。血液内科の専門医が血液データー(赤血球数と血色素量が低い)から見ると間違いなさそうだと。糖尿病も患っているからと3人の医師が対応した。主治医も合わせて4人の医師が相当長い時間検討して直ちに入院となった。 血液内科専門の主治医は検査データーを見て治療が難しいとなり主治医が変わった。その医師に「俺の病気は福島原発事故に由来しているかもしれないので、福島県立医科大学に問い合わせてみたらどうか?」と
言ってみた。すると主治医は「実は私そこから来たのだ」と言うので、「俺は原発のことを書いてきたんだ」という事は言っておいた。しかしその主治医の専門は糖尿病だったのでやはり治療は難しいとなり新松戸中央総合病院に転院した。 多発性骨髄腫の治療法はほぼ決まっていて、二種類の抗がん剤の投与だった。この薬を週に一回ずつ注射していけば、死ぬことはないらしい。(進行や症状をコントロールして日常生活を維持することができる)
現在も通院で治療を続けている(2023年1月)。定期検査が毎週火曜日で、どちらかの抗がん剤を注射する。すると木曜日から土曜日あたりに色々な症状、副作用が出てくる。今出ているのは下痢で、食欲不振や急に眠くなったりすることもある。症状が出始める木曜日から金曜日までが一番辛い。調子がいいのは月曜日というサイクルで、どんな症状が出るかはその週にならないとわからない。一番辛いのが便秘で五日間ぐらい全然出ないこともある。下痢をすれば辛い症状はおさまることがわかってきた。 今でも脇腹の中にゴリゴリしたものがあるような感じで少し痛みがある。この病気の特徴は腸以外のあらゆる臓器、腎臓などにタンパク質が付着して発症する。骨に影響して骨折しやすくもなる。 多発性骨髄腫発症は被ばくの影響かも
福島原発事故発生当時、住んでいる松戸市周辺が放射能で汚染されたことは知っていた(早川由紀夫「福島第一原発事故の放射能汚染地図」では0.25〜0.5μSv/h)。 隣の家では表土をとって捨てる除染をしたくらい汚染がひどかった。この辺一帯の公園は放射線量を測定して何ベクレルと自治体が住民に通知し、一時期は表にして掲示板に張り出していた。しかし今はしなくなった。 移住していった人もいた。ところが今は住んでいる人も医者もここがホットスポットであることをほとんど知らない。 忘れているというか、知らないというか、全く気にしていない。福島に取材で頻繁に行くようになってから、鼻血が出たとかそのような異常はなかった。線量の高い飯舘村の役場にも行った。線量が高いのは除染してなかったからだろう。線量計で測って一番線量が高かったのは浪江で、津島あたりでは車のドアを開けようかどうか判断に迷ったこともあった。 帰還困難区域に入るとき防護服を渡されたが着なかった。高汚染地域にもマスクもせず車で行って、除染もせずにそのままで帰ってきた。したがって多発性骨髄腫の発症に被ばくの影響がかなりあるかもしれない。しかし、松戸市の自宅周辺の放射線量は南相馬市と同じくらい。被ばく線量を考えると家にいた方が高いかもしれない。 今、病院に行くとがん患者がいっぱいいる。どこの病院でも同じだと思う。同じ病院の血液内科にかかってい
る流山市に住む同い年の人は血液がんを患い定期検診を受けたら即入院となったそうだ。俺の多発性骨髄腫の原因は「原発事故の影響があるかもしれない」と話したところ、彼も流山市が放射能で汚染された経験から「自分もそうかもしれない」と言い俺の書いた本を読んでくれた。 医師から聞いた話だと、東葛地域の病院診療科に血液内科は少なく患者もあまりいなかったそうだ。ところが今、血液内科に関係する患者は増えていると思う。時間内では対応できない人数の患者が診察を待っているのだ。 一時期、東京の順天堂大学病院で血液内科の患者数が増えたという情報がインターネット上に出たことがある。都心の御茶ノ水の近くにある病院なので「何でここ」という感じがした。以前よりは血液内科の患者が増えていることは確かなようで、血液内科のある新松戸中央総合病院に患者が集中したようだ。 原発の労働者に多発性骨髄腫になって賠償を訴えている人がいる。俺も医師にそういうことを言ったけど、それを知らない血液内科医がいた。 最近、隣の家の方ががんで亡くなった。地域の松戸市立総合医療センターにがん支援相談センターがある。 機会があればそこで自分の体験を話し、原発事故による被ばくとがんには関係あるのではと相談して健康被害についての関心を高め地域に広げたい。 終わり