肥田舜太郎氏「市民と科学者の内部被曝問題研究会」第一回総会記念講演 2012.4.22


ご紹介いただいた肥田舜太郎です。
長い間待望していたみなさん方のような優秀な方による内部被ばく問題研究会が発足いたしました。
おそらく世界で初めてだと思います。

核兵器に関心を持って、あるいは現在原発を動かしているどこの国でも、
内部被ばくの問題はほとんど知られていません。
特に国民の皆さんには全く伏せられています。
それはやはり、放射能というものを利用して、金を儲けようという側の者にとっては、
その被害を詳しく知られる事は、最も恐ろしい事なんですね。
だから、全精力を上げて、内部被ばくは害がないという事を、
今日まで地球上のすべての国で、そう思い込むようにやってきました。

わたくしは広島で軍医をしていて、まぁ自分も被ばくをしたんですが、
偶然命が助かって、その代わり、その瞬間から、
即死した人、倒れた人、焼き殺されたというのを、いやというほど見てきました。
ですから、あの爆弾が原爆という事が分かって、
その原爆が放射線を出すという事が分かるまでには、少し時間がかかりましたけれども、
基本は放射線が主力の殺人兵器だというふに私は認識しています。

そして67年間、いまでもまだわたくしに相談に来る被ばく者がいますから、
殆ど後半半生は全部被爆者のために生きてきたと言っても過言でない生活を送ってきました。
それほど卓越した医者でもありませんし、
学問的にもそれほど深いものを持っているわけでもない、平凡な町医者でした。
研究はする事はできません、時間がなくて。
症例だけは沢山持っています。

そして、それを今振り返ってみると、
やはり、他人が目で見て「ああこの人は被ばくをしたんだな」
ケロイドがあったり、やけどをした後が残っている。
そういう人ももちろん大変な苦しみを味わったんですが、

内部被ばくを受けて、外から見たんでは何の証拠もない。
具合が悪くて医師にかかっても、日本の医師で内部被ばくを知っている医師は当時ほとんどいませんでした。
ですから、検査をしたり、診察をしても、どっこにも、
彼らの持っている医学知識では、異常が認められない。
必然的に「あなたは病気ではない」という言葉が出るんですね。

医師は自分で学んできて、検査の成績にせよ、信頼技術にせよ、どこかに異常があって、
それが心臓なり、肝臓なり、腎臓なり、すい臓なり、
どこかの内臓疾患に関係があるという判断ができない限り、病名が付けられない。

ですから、私のところに泣いて相談に来る大部分の人は、
どんな大きな病院に行って有名な先生に診てもらっても、
「あんたには病気はない」といわれます。

自分ではこんなに苦しくて、
まともには生きていけないほど体が悪いのに、
なんで医者が診て病気じゃないって言えるんですか?

そう言って怒ってきます、みんな。

私はそういう患者ばっかりを1960年ごろからずーーーっと診てきました。

そして出来る事は、本人を励まして長生きさせる事だけです。
その状態を治療するという方法が分からない。
だから結局は本人に健康を守るような生活の指導をして、
「一緒に長生きしようね」という話しかできなかった。

被団協という日本で唯一の被ばく者の組織に加わりまして、たった一人の被爆医師でしたから
結局私がやった仕事は20万、30万の生き残った被爆者の長生きを図るのがわたくしの仕事。

放射線のいたずらと抵抗して、人間が健康を守って生き抜く。
これがわたしの任務だなと思って、そういう仕事をしてきました。

ですから今、日本中を歩いて、いろんな話を頼まれてしますが、
みんなが私に要求するのは、
「どうやったらこの子を長生きさせられるのか」
「この女の子を結婚させて、赤ん坊がちゃんと生まれるでしょうか」
「私もまだ両親がたくさん長く生きているか分からない、
面倒を見てまだ長生きできるにはどうやっていきたらいいか」っていうのがみんなの要求です。

だから、沢山の専門家の人が言うように、
「事故を起こした発電所から、できるだけ遠くへ行って、放射線の来ない所へ行きなさい」
あとは「水と食べ物を絶対に汚染されていないと確かめたものだけを食べなさい」
そういう指示をするのね。
皆さんもテレビでそういうお話しを聞かれたと思います。

それのできる人がいったい何人いるんだ?と。

大部分の人はできません。
出来ない事を教えたってしょうがないんですね。
だからわたくしはみんなにできる事を教えます。

それを言ってくれる医者だというんで、全国から「来てくれ来てくれ」の話がくるんです。
それは私が被ばく者として、沢山の被ばく者仲間を、
癌や白血病にかからないで、寿命いっぱいに長生きさせようという運動を、
何10万という被爆者の人達と一緒にやってきた経験があるからです。
それは、結論から言えば、
自分の健康を守って、自分の命を何よりも大事だと、本当に思って、
その命を損なわないような、そういう理想的な健康な生活を意識的に努力をしてやるしかない。
放射線防護の戦いはそれしかないんだ。

私は沢山の被ばく者と30年、そういう運動を続けた経験から、確信を持ってそう言います。
他に名案はない。

それともうひとつは、
自分と自分の子供だけが幸せになるという考えは絶対に持つな。
幸せになるなら、みんな同じ母親とみんな同じ子どもが全部幸せになる道を考えろと。

それには努力をして、日本中の原発を全部止める。

それと、世界中の核兵器を無くして、日本の国がまたまた核戦争に利用されるような事は絶対にしない。
それには勇気を持って、アメリカに帰ってくれという事なんだと。
そこまで突き詰めなければ、この原発問題は片付かないよという話をして歩きます。

これは思想でも何でもない。
今ある原子爆弾の放射能という、余計なものの被害で苦しんでいる状態から抜け出そうと思えば、
一番それを妨害しているアメリカに帰ってもらうよりしょうがない。
原爆どころじゃない。
核兵器まで持ちこんでくるんだ。

そんな出会いは、もう67年もたった、
昔戦争が終わって、もう、その時の償いは十分我々はしてきた。
明日からまだまだ、さんざん奉公しなければならない義務は何にもないんだ。
そういう覚悟が決まれば、あなたは放射能と戦って生きる勇気ができる。
そういう話をしてきます。

皆さんはもう、とっくにご承知だと思うけど、
直接外部被ばくを浴びる場合は、放射線の強さに、やはり一定の条件がある。
皮膚を貫いて、中にはいるだけの、そういう放射能の強さがなければ、
外部被ばくも人間の体に害を与えることはできない。

しかし、内部被ばくの場合は、
放射線の量や質の大小は無関係です。
どんな少量でも、入ったら最後被ばく者なんです。

入った放射能は沢山だから危ない。少量だから大丈夫なんていう事は全く無いんです。

アメリカは内部被ばくは入った放射線が微量だから、人間の体には害を与えない。
何の根拠もないウソを、(原爆を)落とした瞬間から日本にずっとウソをつき続けてきた。
沢山の人がそれに惑わされて、
沢山の大学教授が研究もしないで、
「内部被ばくは量が少なければ安全だ」と、今でもまだ思っているんですよね。

わたくしは、広島の被爆者が同じところで、同じ状態で被曝をした人間が、
片一方は3日後に死に片一方は今日まだ生きている。
人によって違うんですよね、対応が。

つまり放射線と人間の関係は、
その放射線と今受けた人間の健康状態が、その人の将来を決める。

同じような状態が起こっても、みんな被害は違うんです。

それを沢山私は経験しているから、
福島の人に、何μシーベルトでどうのこうのっていろんな意見が、こう、出ています。
全部同じようにあなたの隣の子も、その向こうの子も、その向こうの子も、お宅の子も
みんなおんなじ条件で被曝をしたんだ。
しかし明日から、この子たちに起こってくる運命は、一人ひとりみんな違うんだと。
こっちは100まで長生きするかもしれない。
こっちは、悪いけれども、高校生の時に癌が出るかもしれない。
それは、そのこの本人が持っている、その時の被ばくした時の健康状態によって違うんだと。

だから、基本は、
放射線は身体に入ったけれども、
その放射線が悪さをして、身体の中であっちこっち、こう悪さをしながら時間をかけて病気を作っていく。
それを作らせないようにすれば、長生きできるんだと。

日本の広島・長崎の被爆者は、みんなそうやって長生きしてきたと、
だからあんたがたも、何となく生きているという生き方じゃなくて、
明日から「私は正しく生きるんだ」と、「放射線には負けない」そう思って、
飯の食い方から夜の寝方から、トイレの行き方からセックスまで。
何もかも自分が行う行為が度が過ぎないように、
許された自然の

お酒も過ごさない
煙草も今日限りやめる。
悪いといわれた事は全部やめる。

そういう生活に、あなたも父ちゃんも、それをみならって子どもも躾る。
そういう生活を明日からしなさいと。
それがかったるくて嫌だったら、遠慮なく放射線に負けて死んでください。

そういう話をして歩きます。

そこまで言わないと、
ただ、「放射線っていうのは怖いものです。どうのこうの」と、
学者の先生が話をするように話しても、
今の、本当に心底心配している母親の悩みは止まりません。

原発というものが、こんなに恐ろしいものだという事が、
まだみなさん、本当の恐ろしさはまだ出ていない。

放射線の恐ろしさの一番深いところは、
医者が診ても病気だとは思えない。
しかし本人は身体の具合が悪くて、活動ができない。
それを悩んで自殺をした被ばく者は沢山あるし、
会社へ勤められなくなって「あいつは怠け者だ」といわれて、
自分じゃあ、働く気が十分ありながら、あの爆弾を受けたためにこんなになったんだと、
誰に訴えても分かってもらえない。

人間こんなに苦しい事はないですよ。ほんとうに。

72歳の時に、私のところへ訪ねてきた被爆者がいるんです。
22歳の時に広島で被爆をして、数週間たってぶらぶら病が出ました。
だけど軽くて、何日か苦しんで治っちゃって、
そのまんま、何とも無しに70何歳まで生きた。
それで、中小企業の社長さんで、沢山の人を使って、
それが、1980何年、ちょうど原爆が落ちてから、35年ぐらい経って、急にぶらぶら病が出てきた。
毎日自分の工場を回ってね、5つあるんだそうです
そこを回ってみんなを励まして、現場で段取りを付けるのが社長の役割。
ところがそれが回れなくなった。かったるくて。
それで、新潟の人なんですが、農協の病院や日赤の病院、
ありとあらゆるところで先生に診てもらって、どこへ行っても「なんともない」と。
どうしても納得いかないから、懇意のあった医院長に紹介状を書いてもらって東大まできた。
ホテルを取って。
で、3日待ってやっと診てもらえて、それでいくつか検査を受けて、
そして、何日になったら来なさいといわれて行ったら、
「あなたには病気がありません」
「どうしてですか?私はこんなに悪いんですけど」
「私はどんな人を診ても病気を診間違う事はありません」と言うんだそうです。
「私があなたを診てどこにも病気がない。誰に聞いてもらっても、私のやった検査は全うだし、
診断の結果は間違いがない。だからあなたは病気じゃありません」

それで帰りに、埼玉県のこういうところに詳しい医者がいるっていうのを聞いてたもんだから、
わざわざ僕のところに来て、カンカンに怒るんですよ。
「なんぼ偉い東大の先生か知らんが、世界中の人間の全部の病気が分かる訳はなかろう」と
「てめえが分かんない時は分かんないって言えばいいじゃないか」
「なんで病気が無いなんていうんだ」って言ってね、
カンカンに怒って僕のところに来たんですよ。

それはその通りだ。
そのお医者さんの考えは間違ってる。
で、あんたの病気は
こういう訳で、今の医学じゃどうしようもないし、どこぞが悪い事も今の医学では分からない。
直す方法もなければ、中に入った放射線をつまみ出す方法もない。
あんたが自力で自分の意思で命を守って戦って生きるしかないんだ。という話を2時間ぐらいしました。
それで、やっと納得して帰ってね、
それから毎月報告してよこします。

「先生に言われてからこういう生活をしている」と、
だんだん、だんだん、その症状が薄れてね、
結局最後は癌で亡くなりましたけれども、長いお付き合いをしました。

つまり、ぶらぶら病っていうのは、
ま、僕らはぶらぶら病っていう名前しか知りませんが、患者さんが付けたその名前を言うんですけれど、
これが、福島に出るだろうと、わたくしは悪いけれど推定しています。

と言うのは、被ばくした放射線は、
広島・長崎と同じ、プルトニウムとウラニウムを混ぜ合わせたプルサーマルというのを使っている。
だから、広島と長崎の被爆者が経験したことは、必ずこの人達に起こってくるだろう。

その時期は、ま、おおむね3年後が一番まとまった始まりだろうという推定をしています。

でも、残念だけど、もう始まってますね。
1年目、何人ものお母さんが脱毛が始まった。
放射線の疾患の特徴は、
粘膜出血、高熱、それから口の中の口内炎。どんどん悪くなって腐ります、腐敗をする。
それから、柔らかい皮膚に紫色の斑点が出ます。
最後に頭の毛が抜ける。
抜けるっていうより取れるんですね。
当時の経験では頭をこうやる(なでる)と、その下の毛がすっっと取れる

私のところにもう4人、福島の相馬のご婦人から、
4人が、「先生の書いた本にある”脱毛”っていうのが自分に始まったみたいだ]って言ってきています。
だから、あと1年ぐらい経つと増えてくるんじゃないかと心配しています。

心配する理由は、
日本中の医者が今、どの医者もひとりも内部被ばくの症状を診た事がない。
放射線被害についての知識も持っていない。
これは政府の力で、みんなで被ばく者を診て、正しい指導ができるように急速に体制を作らないと、
医者も困るし、患者さんも気の毒な状態が起こります。

そういう心構えも準備も今の日本の中にはなんにもない!

皆さん自身が現地のお母さん方から、「明日からどうしたらいいんですか?」といわれた時に、
おそらく、自信を持って「こう生きれば大丈夫よ」っていうものは、皆さんは持ってないと思う。
自分の努力で生きる以外に手はないんですよ、放射能の被害は。

だから自分が自分の命の本当の主人公になる。

そんな思いを持っている人は誰もいない。
朝起きて自然に生きているから生きている。
その時思いなおして、
「今日1日自分は放射線に負けないで生き抜くんだ」という意志を持って生きる。

この努力が、私は放射線と戦う一番だいじな要素だと、経験上思っています。

もう時間が来ました。

皆さんがこれから成すことで一番大事な事は、
孫とひ孫のために、日本の全ての原発を止めて綺麗にした日本を残すという事が一つ。

もう一つは、今被ばくをしていろいろ思い悩んで苦しんでいる人たちを励まして、
元気を、向こうを向いてね、明るく生きる道を一緒に作ってあげることです。

つまり、被ばくした人は、助けが欲しい。
薬もダメ、医者もダメ、なにもダメとなったら、
やっぱり背中をたたき、腰をたたいてね、「一緒に生きようよ」という人を沢山作らなくちゃいけない。
それには、放射線に関心を持った皆さんが学んで、そういう人間になって頂くほかしょうがない。
そう思ってわたくしは95歳でも、負けないで、毎日講演をして歩いています。

ですからみなさんも今日、この話を聞いた後、
そういう立場で被ばく者に対して、励ます人間として立ち向かってほしい。
そういうふうにお願いしてわたくしの話を終わります。